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ドイツだより

vol.7: ウールマニュファクチャー社訪問記

雨模様のフランクフルトを出たのは早朝5時、どんなに目を凝らしても、車窓にはただ真っ黒な闇が広がるばかりでした。ウールマニュファクチャーの新社屋があるオスナブリュック郊外へは、北へ約四時間の列車の旅です。やがて窓外がやわらかな朝の光に包まれると、遠くの建物も近くの木々も、一面の深い霧の中にそっと潜んでいました。

 


9月29日

秋はもう、こんなに駆け足です。

見るともなしに、自分の乗った列車の横を流れる線路に目をやれば、にごった液の底に沈んだような二本の鋼鉄は、陽光を受けてきらめくでもなく瞬時に視界から遠ざかりながら、単調な平行線をしめし続けます。
ところがあるとき(どこかの駅を通過する少し手前だったのでしょう)、列車がいくつかの線路の分岐点にさしかかりました。

 

進行方向に背を向けて座っていた私の視線のその先で、隣の線路に左斜めから二本のラインが流れ込み、一瞬四本になったラインが二本に収束。すると今度は右斜めからやはり二本のラインが、この線路に絡み取られていきます。

それはまるで、糸がつむがれていく様子を見るようでした。
『きっと、いい日になる』…そんな予感がこのとき確信に変わり、たった今キュッとつむがれたレールの糸とはうらはらに、私の胸の緊張感が一気に解きほぐされていきました。

 


ビオランドの羊たち

ビオランドの認証を受けた牧場では、羊たちは成長促進剤などを含む合成飼料にたよらず、もっぱら牧草を餌としています。牧草地に殺虫剤をまくことは禁じられており、寄生虫駆除の薬品を羊に与えたり、殺虫液の入った水槽の中を歩かせることもご法度です。
こうした飼育法の背景には、《牧草地の土壌を汚染から守ることによって滋養の高い草を与え、種にふさわしい育て方に徹すれば、家畜にはおのずと寄生虫や病原菌への十分な抵抗力が備わる》という考えがあります。

 

病気にかかった羊に与えられる薬品にも厳しい制限があります。規制に即した薬品で治しきれない個体があれば、群れから隔離したうえで相応の投薬治療を行います。
これは、薬物が排泄物に混ざって牧草地や飼育舎を汚染するのを避けるためです。また、体内外に薬の一部が残留する可能性があるので、このような個体から得られた製品は、羊毛であれ肉やその加工品であれ、
ビオランドの認証マークなしで販売されなければなりません。

 


ビオランド

ウールマニュファクチャー社は、このような飼育を行う約10件の牧場から、洗浄済みの羊毛を仕入れています。牧場所在地は主にドイツですが、スペインのアンダルシア地方にも一件の供給者があります。
ここでは、野生の熊の生息域を確保、拡大するプロジェクトの一環として、放牧が行われています。

つまり、下草の覆い茂りすぎた林の中は熊が思うように行き来できないので、除草目的を兼ねて羊が飼われているのだそうです。

 

  • ビオランド・・・“Bioland”(ドイツ有機栽培協会)は有機農業に取り組んでいる団体で、1971年に設立されました。5200以上の生産者(2010年1月時点)がこの協会の公認を受けて有機農業に取り組んでいます。この団体に承認されたコットンや羊毛などの素材を使っている商品に、Bioマークをつけています。

 


一口に羊といっても…

テキセル、レーン、コーブルガー、フックスウール、ブラックフェイス、メリノ…と、ウールマニュファクチャー社で製品化される羊毛も様々な品種からとられたものです。品種ごとの特性に応じて、ドライフェルト用、石鹸と温水を用いたフェルト用、詰め物用などと用途が決まっています。
供給源たる羊の数はおよそ三万頭にのぼりますが、彼らが私たちヒトのために一肌脱いでくれるのは年にたった一度。

(写真)カトリンさんとペーター・フィルゲスさん

 

そこでウールマニュファクチャー社でも、年間の需要見積もりに従って原材料を購入します。つまり、足りなくなったからといってすぐ調達できる原料ではありません。羊の毛を機械にかけてときほぐし、わた状に仕上げるのはご主人のペーター・フィルゲスさん、フェルト細工用の羊毛やつむがれた毛糸を染色するのはカトリン・フィルゲスさんと、ご夫婦で作業を分担しておられます。

製造にはもっぱらこのお二人が従事し、若干名の従業員の方々には、できあがりを個別包装し、販売品として仕上げる作業が任されます。
こんな小さなメーカーなので、常時たくさんの製品在庫を備えるのではなく、材料そのものを十分確保しておいて、需要とにらめっこしながら製品化していかねばなりません。
受注から発送まで、場合によっては4週間のタイムラグを要するのは、このためです。
※仕入れた羊毛の一部は一旦ベルギーの紡績工場に発送され、毛糸に紡がれて社に帰ってきます。

 


飼育だけではないビオ

せっかくビオランドで育てられた羊の毛ですから、その後の洗浄、加工、染色にも適正な原料が用いられるのは言うまでもありません。例えば、フェルト細工のキットが作られる第一工程として、洗浄されプレスされたままの羊毛が、酒石(ワイン樽の中に生じる結晶)とみょうばん水を混合した溶液に浸されます。この処理は、羊毛の繊維を広げて染色時に色素を取り込みやすくすることと、色止めの効果を兼ねています。染料はカトリンさんの手作りで、白樺の葉(黄色)、クルミの殻(茶色)、アカネの根(オレンジ色)

 

 

※コチニール(赤)インディゴ(青)から抽出されます。羊毛は購入時にすでに洗浄済みとはいえ、ビオランドの農場では、一般の繊維工業で用いるような溶解力の強い洗剤の使用が認められていません。
そこで、わらくずや枯葉などの異物がまだかなり残っており染色から乾燥への過程で、これらの異物が一つ一つ手で取り除かれます。

※ウチワサボテン属のサボテンに寄生するカイガラムシ類の昆虫を煮沸ののち乾燥したもの。古くから南米で養殖され、繊維の染色のほか、食品や化粧品の着色など広い用途に使われます。
日本でも公認の食用色の一つ。

 


きっかけ

ことの起こりは今をさかのぼること約25年、カトリンさんが一人目のお子さんを出産された頃のことです。
元々、織りや紡ぎの職業技術を習得していた彼女は、生まれてくる子のためにビオランドの羊毛を自分の手でつむぎ、オムツの上にはかせるズボンを編みながら出産を待ちました。やがてお誕生。助産婦さんを介しての新米ママと赤ちゃんの集いで、娘さんのはいたお手製ズボンが注目を浴びます。
好評の秘密は、ビオランドの羊毛に特有の適度な脂肪分。

 

この脂肪分のおかげで温度、通気、湿度がうまく調整されるので、カトリン・メイドのビオパンツは赤ちゃんをオムツかぶれから守り、身につけた心地よさも一目瞭然だったのです。また、ウールのもつ脂肪分には浄化作用があります。だからビオランド・ウールは、大人の衣料にしても着心地がよいだけでなく、過度の洗濯を必要としないので、お気に入りの風合いをそこなわず長く愛用できるという長所も見逃せません。
翌年、息子さんの出産後も多くのママたちがお手製ズボンを絶賛。
こうして身近な人たちから製品化をしきりに勧められたのがきっかけで、1985年、ウールマニュファクチャー社が発足しました。
大地と生物、そして素材をいたわるビオランドでなければ得られないウール本来の持ち味は、もう四半世紀前に実証ずみ。
どんなに手間がかかってもフィルゲス夫妻がビオにこだわり続ける理由は、実はここにありました。

 


最後に

赤ちゃんとともに生まれ、赤ちゃんとともに歩み始めたウールマニュファクチャー社の製品は、いまや西欧諸国のほか、ロシア、韓国、日本、アメリカのファンに愛されています。

こんなことを予期するはずもなく、かつてズボンのモデル第一号を務めたお嬢さんも、いまでは二人のお子さんをもつママとなりました。

 

 

この夏、幼稚園に通い始めた上の子のことをカトリンさんは、「とっても聞き分けがいいの。『おばあちゃん、これしていい?これ使っていい?』って、必ず聞くの。
おまけに、だめって言ったことは絶対しないの。」とコメント。「…でもね、」と、彼女は続けます。「だめって言われたことをするようになる日が必ず来るのよ。私はそれが楽しみで楽しみで…。」
さすが!ビオ仕込みのあっぱれ※オーマ。

車中での予感をだんぜん上回る素晴らしい一日をお二人から頂戴し、私は元気を胸いっぱいに吸い込んで帰路につきました。

※ドイツ語で孫が祖母に対して使う呼称(Oma)。ちなみにおじいちゃんはオーパ(Opa)。

 

vol.7『ウールマニュファクチャー社訪問記』終わり